QUIET が目指す物理






  宇宙マイクロ波背景放射

宇宙マイクロ波背景放射とは、宇宙の全域からおおむね一様に観測される電磁波 (光子) の放射です。 アメリカの物理学者ウィルソンとペンジアスによって1965年に発見されました。


宇宙マイクロ波背景放射にはふたつの特徴があります (下図)。
  1. マイクロ波の周波数分布が黒体放射の周波数分布と非常によい精度で一致すること
  2. 宇宙のどの方角を観測しても一様で黒体の温度がほぼ 2.7 K であること
CMB 2.7K
しかし、実はここに大きな疑問があります。なぜ、宇宙マイクロ波背景放射がこのように一様なのかという問題です。


一般相対論によれば、あらゆる物質は光の速さを超えて進むことができませんから、 あらゆる情報も光の速さを超えて伝わることができません。 すると、宇宙の年齢をおよそ140億年としても、宇宙のすべての領域で情報を共有するには時間が足りないのです (実際には天球上の視野角にして約2度以上離れた領域では互いに情報をやりとりできません)。


にもかかわらず、宇宙マイクロ波背景放射が宇宙のすべての領域でほぼ一様の温度であるということは、 過去に情報をやりとりする何らかの機構が存在したと考えた方が自然であるといえます。
 



  宇宙誕生とインフレーション理論

私たちの暮らすこの宇宙はどのように誕生したのでしょうか?


この疑問は物理学にわたる究極の問題のひとつですが、 さまざまな観測事実から、初期の宇宙は高温・高密度の火の玉であったという「ビッグバン理論」が揺るぎない地位を確立しています。 しかしビッグバン理論だけでは「なぜ宇宙マイクロ波背景放射が宇宙のすべての領域でほぼ一様なのか?」という根源的な問題にまで答えることは出来ません。


事象の地平面 この問題に答える最も有力なパラダイムのひとつが「インフレーション理論」です。 インフレーション理論では、スカラー場のもつ真空のエネルギーをもとにして、 ビッグバン宇宙の「前」に光の速さを超える空間の急膨張 (インフレーション) があったとしています (「空間」の膨張であるため一般相対論の制約は破りません)。 インフレーションの起きる前には情報がやりとりできていた空間が、 インフレーションによる空間の急膨張で互いに急激に引き離され、 ついに情報をやりとりできなくなってしまったと考えられています (右図)。 インフレーション理論によれば、 このインフレーションは、宇宙誕生からおよそ 10-38 秒後 (100000000000000000000000000000000000000分の1秒後) に起きた可能性があります。


インフレーション理論にはもうひとつ、「宇宙の時空の平坦性」を説明できるという特徴もあります。 観測事実から、宇宙の時空は平坦かそれにきわめて近いと考えられていますが、 これはインフレーションの急膨張によって、 平坦でない構造が滑らかに均されてしまったためだと考えられています。


ではインフレーション理論を検証するにはどうしたらよいでしょうか。 再び宇宙マイクロ波背景放射が答を与えます。
 



  インフレーション理論の検証と宇宙マイクロ波背景放射偏光

インフレーションが実際に起こったならば、 追随して「原始重力波」が発生したと考えられています。 重力波とは時空の振動によって発生する波です。 インフレーションによって作り出された原始重力波は、 宇宙マイクロ波背景放射の偏光パターンに「Bモード」とよばれる 特殊な模様を作り出すと考えられています。


偏光 偏光とは、光の進む向きに対して電場や磁場が特定の方向にのみ振動している光です (右図: ウィキペディアより)。 一般に、光は散乱や反射をすると偏光してしまいます。 ちなみに、人間の目では光がどちらの方向に偏光しているかを感じることはほとんどできません。 また、夏の日差しがまぶしいときに、特定の方向の偏光を遮断するサングラスをかけると、 建物や地面で反射された偏光がさえぎられて景色が見えやすくなります。

宇宙マイクロ波背景放射の光子は、 宇宙の晴れあがりの頃 (電子が陽子に捕捉されて水素原子になった頃) に 陽子に捕捉される直前の電子との散乱を経験しており、 その散乱のために偏光しています。


B-mode インフレーション理論を検証するためには、 まず宇宙のさまざまな方角からの宇宙マイクロ波背景放射を丹念に集め、 それぞれがどの方向に偏光しているかを調べます。 そしてそれぞれの偏光パターンを総合的に判断して、 Bモードと呼ばれる模様と一致するかどうかを調べます。 なおBモード偏光とは、偏光成分が全体で渦を巻いているような模様の偏光です (右図)。 また、原始重力波は大きな半径の渦巻きとして痕跡を残すと考えられています。
 



  QUIET 実験の物理的な意義

QUIET は宇宙マイクロ波背景放射偏光のBモード偏光を発見する目的で進められている実験です。 具体的にはBモード偏光の「渦巻きの半径」と「巻き方の強さ」を調べます。


QUIET 実験により大きな渦半径のBモード偏光が発見されれば、インフレーション理論への強力な証拠となる上、 インフレーションポテンシャルの深さ (インフレーションの規模) も見積ることができます。 また、この発見自身が重力波の初観測という重要な意味を持ちます。 他方、小さな渦半径のBモード偏光は、重力レンズ効果に敏感で、 こちらの研究からは重いニュートリノの質量への制約や暗黒物質の速さ分布などの成果が得られると期待されます。

このように 宇宙マイクロ波背景放射偏光の研究は、物理的に極めて深い意義を持っています。
 



  B モード偏光と QUIET 実験で決める物理量

QUIET 実験で観測しようとしている B モード偏光について さらに詳しく示したものが下の 2 つの図です。

Polarization-power

図の横軸が「渦巻きの半径」に、縦軸が「巻き方の強さ」に対応します (より正確には、全天の偏光成分を球面調和関数で展開したときの展開次数 l が横軸、 偏光の強さが縦軸です)。 ただし横軸の数字 l は特殊な量で、小さな数ほど大きな渦半径に対応します。


図中の緑色で示された曲線は渦半径に対する B モード偏光の強さ (予想値) を示します。 右側の図は l の小さな領域 (大きな渦半径) に対応し、 左側の図は l の大きな領域 (小さな渦半径) に対応します。 前述の通り、大きな渦半径の B モード偏光は原始重力波に起因し、 小さな渦半径の B モード偏光は重力レンズ効果に起因します。 上の図ではそれぞれの領域で支配的となる B モード偏光の強さだけを描いてあります。


赤色の縦線は、その l の値での QUIET 測定器の測定誤差 (1σ) を示しています。 l がおおむね 200 よりも小さい範囲では、非常によい精度で B モード偏光の強さを決定できると期待できます。 ただし、この議論はインフレーションポテンシャルの深さに強く依存します。 インフレーションポテンシャルが浅いと (つまりインフレーションの規模が小さいと) 発生する原始重力波が弱くなり、結果として生じる B モード偏光の強さも弱くなってしまいます。 QUIET 実験では、インフレーションポテンシャルの深さがおおむね 1016 GeV よりも深ければ 原始重力波を捉えらえるだろうと考えられています。
 

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